内田光子×マーラーチェンバーオーケストラ

最終更新: 2019年2月3日

ベルギー・ブリュッセルのコンサートホール・Bozar(ボザール)にて開催された、内田光子とマーラーチェンバーオーケストラによるコンサートを聴きに行きました。

それぞれの紹介をしつつ、コンサートの模様を振り返っていければ、と思います。



内田光子

 1948年生まれ(現在70歳)、イギリス国籍をもつピアニスト。

 21歳でエリザベート王妃国際音楽コンクール第10位、翌年にはショパン国際ピアノコンクールで2位を受賞する他、数多くのコンクールで入賞。


 その後、ロンドンでデビューするも大手レコード会社からオファーは来ず。日本での公演をしようにも、後に本人が「私は日本の音楽大学を出ていなかったから・・」と言うように、集客の術がなく両親が手売りでチケットをさばくなど、不遇の20代だったと回想しています。

 そんな中、32歳でモーツァルトの「ピアノ・ソナタ連続演奏会」を開催し、ロンドンの批評家から“ウチダの火曜日”と絶賛され、一躍、時の人に。そしてイギリス室内管弦楽団でモーツァルトのピアノ協奏曲(全27曲)を弾き振り・録音が成功し、とうとう長い不遇の時代を経て名実ともに国際的な名声を不動のものとしました。



 彼女のレパートリーはその名声後、ロマン派以前の作曲家、ベートヴェンやシューベルト、そして今回の公演「内田光子×マーラーチェンバーオーケストラ」でもメインで演奏されたモーツァルトなどに変わりました。




マーラーチェンバーオーケストラ

 ドイツ・ベルリンに拠点を置き活動する(小編成の)室内オーケストラ。1997年に伊ミラノ出身の世界的指揮者、クラウディオ・アバドが創設した。現在20カ国以上の楽団員から成るが、その中には日本人(オーボエの首席奏者)もいます。全体的に年齢が若く、従来にとらわれない自由な発想の解釈で演奏します。

 




 この日のプログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲19番と20番でした。



 この頃のモーツァルトは、故郷のザルツブルグを離れ音楽家として生活し始めたウィーン3年目の1784年、一気に6曲のピアノ協奏曲を書き上げますが、19番はその最後を飾る曲です。そしてそこから作曲家・演奏家として円熟期に入る28歳〜30歳までにピアノ協奏曲は25番まで到達します..!

 というように、天才で〈神の子〉と称されたモーツァルトのその作品は長調の、明るく無邪気で天使のようなものばかり。その彼が書いた初めての短調の協奏曲が、この20番。暗い情熱が波打つこの曲は、モーツァルトがまぎれもなく苦悩する《人間》であったことを伝えている。そして、多くの人がモーツァルトにのめり込むきっかけとなるのは、この作品ではないでしょうか。


 

 マーラーチェンバーオーケストラのチューニングが終わり、内田光子さんが舞台袖から中央にある楽団員に囲まれたピアノの前に歩いてきます。表情や一つ一つの所作は優しく気品がありました。そして彼女の持つ空気感が会場に伝わり、静寂が響きます。


 ピアノ協奏曲19番。まるでオペラの始まりのようなフルートと弦の軽やかな音で幕が開きました。


 Bozarのホールは音の響きが少なく、座席が前と後ろとでは全く聴こえ方が違います。また、お客さんが入った状態とリハーサルの客席に誰もいない状態とでも変わります。

演奏が始まり、出てくる音を耳で感じながら弾き方をその場所にとって最高のものに合わせていく、それも指揮をしながら。これだけで彼女の凄さを感じることができました。



 ピアノ協奏曲20番の2楽章。ゆっくりでシンプルな曲ですが、ここに内田光子さんの世界をすごく感じました。


 ピアノから始まるこの曲は、彼女の問いかけに楽団員たちが呼応し互いに会話するように音楽を奏でているのですが、本当に自然で純粋な音なこと。それは極上の絵本を読んでいるかのようでした。ことばはいらない、音にこんなにも想いをのせることができるのかと、ただ感動して聴き入りました。


 スタンディングオベーションが送られ、幕を閉じました。

 忘れられないコンサートの1つとなりました。


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